その昔、明治の頃、大阪がネギの一大産地だったことをご存知でしょうか。
現在の南海難波駅ができた当初は、周りにネギ畑が広がっていたそうです。このことから、「鴨なんば」の「なんば」はネギを指すという説も。※諸説あります
この頃盛んに栽培されていたのが「難波ねぎ」です。明治36年の『大阪府農業地理案内』にも「難波葱は市内南区木津、今宮、難波と西成郡今宮、津守の両村に跨り栽培せられ此附近一体に大阪市の蔬采供給地たり」と書いてあり、難波周辺がこのネギの生産地だったことを示しています。
そんな伝統あるネギを今でも大阪市内の住吉区で生産しているのが、JA大阪市組合員の上田隆祥(76)さん。
上田さんは難波ねぎについて、「スーパーで並んでいるねぎと比べると、丈が60cmほどと長く、葉折れするほど葉が柔らかくて甘いんです。葉の中にぬめりが多いのも特長ですね」と特長を教えてくださいました。実際に食べさせていただくと、生とは思えない甘さ。鍋やうどんはもちろん、ねぎ焼きにすると甘さが際立つそうです。
ネギといえば京都の九条ねぎが有名ですが、なんとこの難波ねぎはその原種にあたるそうです。
過去に上田さんが九条ねぎと難波ねぎを同じ土壌で育てて味を比べる実験を行った結果、ねぎの旬が始まる12月には難波ねぎのほうが格段に甘く、一番甘くなる1月2月にやっと九条ねぎの甘さが追いついたとか。
難波ねぎも九条ねぎも明治以前から存在していますが、当時の種の値段は難波ねぎが1合35銭、九条ねぎが1合30銭と難波ねぎのほうが高級だったんです。(明治43年春日本園藝株式会社「営業案内」より抜粋)
残念ながら現在では、特長であるぬめりで薬味などで使いにくいことや消費者がシャキッとした見栄えの良いネギを好むことから栽培する人は激減。種を作っているのは上田さんだけとなってしまいました。しかし、難波ねぎのおいしさが再度認識され、お店で使いたいという人も現れたといいます。今では、知り合いに頼んで栽培してもらうなど、栽培は徐々に広がっています。